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「東京都立大学大学情報研究会」は東京都立大学・首都大学東京で、「大学」をテーマに研究・出版活動を行っている学生サークルです。


by daijouken




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 世界的な金融危機の影響を受けた日本の景気の悪化は、目を見張るスピードで進んでいる。「戦後最長の好景気」から一転、まさにつるべ落としといった様相であるが、影響は労働者だけでなく学生にも及んでいる。来春新卒予定の採用内定者に対する、内定取り消しが広がっているのだ。すでに多くのメディアでも取り上げられていて、ご存知の方も多いであろう。
 厚生労働省が11月に発表した調査結果によれば、大学・高校新卒予定者で内定を取り消されたのは331人。また共産党都議団による12月上旬の調査によれば、都内の4年制大学だけで39大学80人以上の学生が、すでに内定を取り消されているという。回答のない大学や調査中の大学もあり、加えて経済情勢に好転の兆しもないことからこの数は今後さらに増えると思われる。
 半年前には想像もできなかった事態である。団塊世代の大量退職や好調な企業業績により、05年頃から就職戦線は「売り手市場」といわれるようになった。今年もそれは変わらず、株価低落・円高・原油高が進行していた今年6月でさえ、せいぜい「空前の売り手市場は、どうやら今春でひと区切りつきそうな雲行き」(週刊ダイヤモンド08年6月6日号)程度の情勢分析が普通であったのに、である。
 本学でも内定を取り消された学生がいるかもしれない。その落胆や悲哀、憤りは察して余りある。内定を出し、以後の就職活動を制限したり資格取得を課しておきながら一方的にこれを取り消す、企業のご都合主義は強く批判されるべきだろう。
 しかし一方で、学生や大学の側にはまったく落ち度がなかったのだろうか。本稿ではそこをえぐり出してみたい。ただあらかじめ断っておくが、それを指摘することにより企業の側を免罪擁護するものでは一切ないことは言明しておく。

 私は一般に就活生が嫌いである。特に心身ともに懸命打ち込み、何かその先に希望みたいなものがあるように勘違いして嬉々として就活に励む就活生の姿は、醜悪さえであると思っている。
 様々な感情や思考が重なり合ってくる思いなのでその理由を説明するのは難しいが、端的に言うならその無邪気さと浅はかさ、そして無知を、私は憎む。
 そもそも就職を目指すということがどういうことか、考えたことがあるだろうか。自己実現だの成長だの社会参加だの、アタマに花が咲いたようなコピーを口にする人は、もうどっか行っていい。就職を目指すということ、それは労働者になろうとするということに他ならない。企業に「使用される者」になろうとすることであり、企業の「指揮命令下」に置かれようとすることであり、企業との間で「使用従属関係」を結ぼうとすることである。要は自分が奴隷同様になることを前提に、よりましなご主人様を選ぼうという行動である。
 それさえ認めないお花畑はもう知らないが、その通りだが生きていくためには仕方がないではないか、という声は当然出てくるだろう。
 では聞きたい。2段落前で括弧に囲んだ単語は全て労働法の基礎用語であるが、これらを就活生のどれだけが知っているだろうか?仕方なくする就職、仕方なくなる労働者。それならば、その中でせめて自己を守る手段は知っておく必要があるのではないか。
 なぜ、労働法があるのか。それは、これがないと労働者の労働者としての権利(根源には生存権)が守られない恐れがあると認められているからだ。乱暴にいえば、働く(あるいは働いていることを前提としてそこを解雇される)ということは殺されるかもしれないということであり、そこでのサバイバル教本が労働法分野に属する各法律なのだ。
 大学の責任も大きい。
 「キャリア教育」などと称して、やれ自己形成だ、将来設計だ、インターンシップだ、実践教育だ、などとふざけきった茶番と刷り込みしかしない大学、そしてそれに疑問も持たず乗っかる学生が、いかに無邪気で浅はかで愚かで醜悪か。あるいは、サバイバル教本を教えない大学がいかに罪深い存在か(そうした意味では内定取り消しについて大学は、被害者ではなく共犯者と言えると思う)、学ぼうとしない学生がいかに無謀か。
 今回の内定取り消しの続発で、「キャリア教育」なるものがいかに根源的に無力であるか、端的に明らかになった。結局企業は切る時は切るし、大学、例えば就職課もナントカカウンセラーも、助けにならない。奴らは企業及び就職情報業界の受け売りと、少々の個人的経験をミックスした「キャリア観」を垂れ流す程度しか能がない連中だ。
 宮崎学の「突破者」という本にこういうくだりがある。宮崎らが早稲田大学に入学した直後、始めての法社会学の授業で教授がこう言ったという。「君たち、勘違いしてはいけないぞ。早稲田の法学部の学生は将来労働者になり、労働者で終る人間だ。東大の法学部の連中とは違うんだ。だから、自らの問題として労働法をしっかり学べ」。まことに現実的かつ正しい分析であると思う。
 つらつらと書いていたら、今回は労働法のみに絞っての指摘になってしまった。当たり前だが労働法だけ知っていればいいわけでもない。労働の本質、資本主義の仕組みと労働者への影響、資本の本質……それらを見ると、実は企業の内定取り消しなど当然にあり得ることであるのがわかる。詳細は別稿に譲るが、結局就活や就職など、本当にバカバカしいものなのだ。
 本稿が、内定取り消しは「自己責任」(唾棄すべき言葉だ)だと言いたいのだと誤解されないか不安があるが、断じてそういう趣旨ではない。本稿の主要ターゲットは、歪んだ職業教育ばかりを積極的に振りまく大学だ。ただ、それに安易に乗っかる理解しがたい学生集団が存在するのもまた事実である。
 繰り返すが就活などバカバカしいものなのだ。ただ一方で、就職しなければ生きていけないという事情もわかる。そこで最後に、昔からあるこういう言葉を捧げたい。「うまい話に落とし穴」。就活にうまい話などあるはずがない。きれいごとで人を動かそうとする奴らは信用してはいけない。本稿を読んでくれた方々には、それを肝に銘じておいてほしいと思う。
(終)





# by daijouken | 2009-09-23 00:03 | 『大乱調』創刊号